ノー・コントロール

What do you call that noise ?

水、はじめました。  

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自宅に居るときに摂取する水分のほとんどはビールとコーヒーと炭酸水だ。

思うところあり、少し改めてみることにした。

そういや、普通の「水」って、ラーメン屋さんでしか飲んでいなかったかも。

「水を飲む」という行為が、とても新鮮だ。





Cornelius - Drop



freeze  

結婚してから半年ちょっと過ぎると、お互いのライフスタイルや価値観の細かな違いが見えてくる。

今、住んでいるマンションは、24時間営業のスーパーからとても近いこともあり、基本的に毎日自炊である。外食はほとんどしない。コンビニ弁当も前回いつ食べたのかわからない。特に当番制にはしていないが、夕食はどちらかが作る。

以前から思っていたことなのだが、妻には「冷凍して保存する」という概念があまりない。結婚前から、冷凍庫には冷凍食品とアイスクリームが2~3個入っているのが常であった。

一方、私はというと、例えば肉が安い日は、一番大きなパックを買い、自宅でラップに包み小分けして冷凍保存するタイプだ。鮭の切り身なども同様。出勤前に、その日の夕食に使う分を冷凍庫から冷蔵庫に移しておけば、調理するころにはイイ感じで解凍されているという塩梅だ。

私は「肉は安い時に買うべきで、冷凍保存をもっと有効な手段として行使するべきだ」と大演説した。妻は解ったような解っていないような顔をしていたが、この法案は可決した。アイスクリーム置き場が食材を保存する場所になった瞬間だ。革命である。

しかし、そこで新たな問題が発生した。在庫管理である。冷凍しておけば、賞味期限は永遠というわけではなく、食材だって「冷凍焼け」する。新鮮さはハナから期待していないが、劣化は最小限に食い止めたいところだ。


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今朝、なんとなく冷蔵庫の中を整理していると、約3か月近く前の肉が発掘された。まあ、食えなくもないだろう。煮込めばなんとか。そうだ、今夜はカレーにしよう。カレーにしてしまえば、時が止まり放置された肉も、そこそこまあまあな仕上がりになると思う。


給料日前は、なんとなく節約モードになる。カレーもしばらく作っていなかったので、丁度よい。この週末はカレーで過ごせば良いのだ!…と私は思うのだが、妻には「作り置き」という概念もあまりない。あったらあっただけ食べてしまうのだ。

先日などは、煮込みハンバーグを8個作って、「これで2日過ごせるな」と思っていたのだが、妻は一気に5個食べてしまった。「お前は大食いファイターか?!」とも思ったが、「ああ、美味かった。オラはもうお腹いっぱいだ!」と満足げな顔をしていたので、当初の予定は白紙になったが。それはそれで良しとすることにした。

そろそろスーパーに配送されたばかりの野菜が陳列される時間だろうか。最小限の出費で、できるだけ美味しいカレーを作ろう。肉はワインと水1:1で煮込んで下ごしらえしよう。

朝から缶ビールを飲みながらカレー作り、それもまた良い休日である。







I wish the day dream never ends  

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意味もなく5時前に起床。夜遊びをほとんどしなくなったのは、金銭的な面もあるが、体力的な問題もある。金曜の夜なんかは疲れがピークで、夕食をとったあとは、とてもじゃないが起きていられず、気絶するようにベッドに倒れ込んだ。

朝の公園を散歩した。いろいろな思いがフラッシュバックする。楽しい思い出ばかりではない。みんなそうだろう。

頭の中に、太陽の黒点みたいなものがあって、そいつに侵食されそうになる。悪いがお前と戦う気はないよ。失せてくれ。私は音楽のボリュームを上げた。




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突き抜ける青。
対峙、逃避、いずれにしても青空。
食事、休息、いずれにしても青空。






Sunday Park / Yen Town Band




6番目のユ・ウ・ウ・ツ  

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朝っぱら救急病院にトルネードインする日曜日。馬鹿みたいに良い天気なのが、またムカつく。なんて日だ!

気力でなんとかなっていたことが、リアルにどうにもならないお年頃。「病は気から」なるほど、そういう側面も確かにあるが、ダメなものはダメ。原因があるから結果がある。原因がよくわからないから、不安になる。

バスに揺られて帰宅。倒れるように眠る。眠る。眠る。それだけの日曜日。

ビールを飲まずに、野菜ジュース片手にため息。付け焼刃ヘルシー。

ごはんを食べていたら、歯の詰め物が取れました。

散々。



境界線はまだそこにある、忘れても尚まだそこにある  

あまり友人が多い方ではない。

父親が典型的な転勤が多いサラリーマンだったので、引っ越しにともなう転校が多かった。仲の良い友達が出来ても、心の中で、「ああ、今は楽しいけれど、そう遠くない未来に、みんなとは会えなくなっちゃうんだな…そして、俺のことなんか忘れちゃうんだろうな」そういう風に思っていた。幼くして、別れの寂しさみたいなものを常に何処かで意識していたので、全面的に自分大解放で友達に接してこなかった。常に最終ラインがあって、その先には踏み込ませないし、自分も踏み込まなかった。

おそらく私は傷つきたくなかったのだろう。
思春期を過ぎ、勿論常に周りに友達はいたのだが、どこか心を閉ざしていた。「本当のこと」は、いちいち言えなかった。面倒くささではなく、拒否されたり、馬鹿にされるのを嫌っていたのだ。

そんな感じで大人になった。



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年齢を重ねた故、付き合いの長い友人とは、時間が信頼関係を深めてくれた。ここ数年では、インターネットを通じて知り合った友人も多い。時代だな。子供の頃にネットがあったら、転校した学校の友達とも、そこで終わりにはならなかったのかもしれない。



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友達と常にベッタリを望んではいないし、一人の時間も大切だ。

人生も折り返し点はとうに過ぎているであろう、最近になって、今後、どう友達付き合いをしていこうか、ぼんやりと考えてみたりする。

生きている間に出会える人の数は、結構少ないのではないのだろうか。この年齢になったからこそ、もう少し自分をさらけ出してみても、意外と大丈夫なんじゃないか?そんな希望的観測もある。根拠はないが。





haunted days

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