No No サーキュレーション
雨に濡れたビニール袋から覗いていたのは、AVであった。
きっと、処分に困って、ビルとビルの隙間に投棄されたものであろう。
しかもVHS。
今もVHSを再生できる環境にある人は、どの程度いるのだろう。
「燃えないゴミの日に出せばいいじゃねえかよ」そう思った。
そして思い出した。
私が健全な中学生だった頃だ。
当時の中学生の日常的エロスアイテムは、ズバリ「エロ本」であった。
「エロ本」、ああ、なんて甘酸っぱく生温かい響きであろうか。
当然私も、エロ本を嗜んでいたのだが、やはり一冊の本を眺め続けるのには、「飽き」がくるものであり、どんなお気に入りの1ページがあったとしても、定期的にラインナップは入れ替わっていた。
飽きたエロ本は、普通にゴミ捨て場に捨てたり、友達にあげたり(いま思うとそれもどうなのよ?)していたのだけれど、ある日、何の気なしに、通学路にある公園の、ベンチの後ろの茂みに、エロ本を置いてみた。
学校が終わって、帰り道、茂みを見ると、エロ本は消えていた。
しばらくして、また同じ茂みにエロ本を置くと、やはり帰りには消えていた。
そして、同じことが、何度も繰り返された。
「見つけられたエロ本は、誰かが回収し、捨てたのだろう」と思うよりも、「誰かが心の中で嬉々としつつも、それを決して顔には出さず、カバンにしまって持ち帰ったのだろう」と思う方がロマンがあった。
エロ本を持ち帰っている彼は、偶然この茂みを見た誰か。
もしかしたら、同じ学校に通っている中学生かもしれないな。
私は、まだ見ぬ彼に、いつしか友情にも似た…同族意識、仲間意識を感じていた。
「俺達、ブラザーだぜ」と。
あの時の私は、大切な何かを共有しているような喜びと、「気にすんな、俺のおごりだ、とっとけよ」みたいな気分の良さに、勝手に浸っていたのである。
そんな思いがつのり、ある夜、「彼」に向けた手紙をしたため、本の間に挟んでみたのだが、考えた末、やはり手紙は本から抜いて破り捨てた。
何と言うか、「粋ではない」気がしたのだ。
このまま、お互いの存在を知ることなく、ただエロ本だけがお互いを繋いでいる。
それで…その事実だけで良いのではないか?
やがて受験勉強が忙しくなり、それでも相変わらずエロ本は勉強の合間に嗜んでいたのだが、通学時にわざわざエロ本を公園の茂みに隠すのが面倒になって、いつしか私と「彼」とのホットラインは消滅した。
彼は今も、この空の下のどこかに居るのであろう。
「あの時のアレ…俺なんだ」
私は空を見上げて呟いた。
雨雲の切れ間から、飛行機の赤い灯りが見えた。