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Stay Away
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2009/10/30(Fri)
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めっきり秋ですね。
毎年この時期は、何を着たらよいのか、全くわからないでござる。 さて、早起き。 コンビニのレジ袋を鞄に見立て、袋の中にタバコとライターと携帯灰皿、携帯電話と財布と、読みかけの本と猫の餌をガサゴソとブチ込み、いつもの公園へ。 ![]() 缶コーヒーを買い求め、ベンチで一服。 やあやあ、みんなおはようさん。 猫と一緒に読書に耽る。これもまた正しい秋の朝のすごし方である。 『カート&コートニー リアルワーズ』NIRVANAの故・カート・コバーンと、その妻でHOLEのヴォーカリスト、コートニー・ラブの発言集だ。 NIRVANAが全世界的にブレイクした90年代初頭。 しかし私個人はあまりピンとこなかった。 パンクでもなくハードロックでもなくヘヴィーメタルでもなく、ポップなのにどこか少し暗いメロディーの繰り返しに、「ああ中途半端で退屈な音楽だなあ」と思ったものだ。当時はそれよりも、ダンスミュージックにロックギターを見事に融合させたジーザス・ジョーンズや、所謂シューゲイザー、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの轟音ギターノイズと甘美なメロディに夢中であった。 NIRVANAは、1994年4月5日、カート・コバーンが自宅で自殺したことで事実上の解散となる。 当時大学生だった私は、行きつけの練習スタジオでその報せを知ることになるのだが、その時は「へえ、そうなんだ」くらいにしか思わなかった。当時はNIRVANAに対する思い入れが、ほとんどなかったのである。 その頃の私は、大学には通ってなんとなく真面目に(?)勉強はしていたものの、サークル活動をしていなかったので、学内に友人はほとんどなく、もっぱら学外でのバンド活動が生活の中心であった。月に1〜3度のライブ。その為だけに毎日はあった。 何もわかっていない若造の癖に、世の中に対し変なところで冷めた態度をとり、所謂ロック・ミュージックに関わるカルチャーにどっぷり漬かることもできず、よくわからん自分の解釈で、毎日をダラダラと過ごしていた。 飲めない酒を浴びるように飲み、眠くなれば眠り、腹が減れば食い、毎日ギターを弾き、音楽を聴いて本を読み、たまに珍しく気の合う友人と、他愛もない話をして過ごした。その合間に単位を取得するに足る程度の勉学をする。 そんな暮らしを続けるうちに、私の中の何かが崩壊するのも、今思えば必然だったのかもしれない。 自分ではこの時期を『第一次濃紺ビッグバン』、『ファースト・インパクト』と位置づけている。 メシさえ食わず、太陽が怖いから昼間からカーテンを閉め切り、夜になればなったで蛍光灯の光が眩し過ぎて目を開けていることもままならず、蝋燭の光で過ごした。お香とタバコの煙が充満した、昼も夜も薄暗い部屋で、ヘッドフォンをしたまま過ごした。 そんな時に聴き返したNIRVANA-カート・コバーンの声は、その時の私の精神状態にピッタリとシンクロした(ような気がした)。あれだけピンとこなかったNIRVANAの音楽が、ジワジワとボディ・ブローのように効いてきたのだ。 もう「いない」カートの声が、私の鼓膜と胸に突き刺さり、私は泣いた。 泣き叫びながら、食器棚の食器を滅茶苦茶に叩き割り、アパートの壁を殴っては穴を開け、振りかぶったギターで、天井からぶら下がっている蛍光灯を殴打した。蛍光灯は粉々に砕けて、頭からその破片をまともにかぶることになった。 猫を抱き、ページを捲りながら、そんな昔のことを思い出していた。 青臭いといえば、あまりに青臭すぎるが、そんな【無駄な日々】がなければ、今、私はここでこうして過去を振り返り、駄文を垂れ流すこともなく、これを読んでいるあなたも、これを見ていることはない。 【無駄な日々】は、本当に無駄だったのかどうか?今の私にはわからないが、これから少し先の未来に、また当時のことを振り返ったとして、「無駄な日々は決して無駄ではなかった」と、少しでも思うことができれば、それだけで。言葉としては明らかに矛盾しているが、ただもう、それだけで。 ![]() そんな訳で、近頃NIRVANAをよく聴いている。 ■YouTube-Stay Away / NIRVANA |
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